三木露風は「忘れられた詩人」や「活躍は大正十五年までで、この年をもって第一線を退いた」と評され、その後の作品は注目されず近代文学史から忘れ去られて来た。本研究は、露風が大正15(1926)年以降、昭和2(1927)年6月6日から昭和5(1930)年12月21日まで寄稿していた『山崎新聞』に残された未公開作品(短歌、俳句、詩、随筆、紀行文)について調査・整理する。現在は、新聞掲載の全作品についてデジタル化している。また、『山崎新聞』の作品と関わる露風の自筆創作ノート、日記、書簡などを収集中、入手した草稿は翻刻中である。
新資料を基に、新しい視点での三木露風研究を提起する活動をしている。
未公開資料の公開・整理としては、これまで進めてきた『山崎新聞』掲載の露風作品について、ジャンル別に整理しデータ化する作業が完了した。
また、その掲載作品と関連する作品の草稿や書簡などの資料を蒐集し、対応関係についての研究を終えている。
さらに露風に関する資料調査の過程で、新たな未公開資料を発見したので、新聞等で公表した。
基礎的研究としては、新資料を基に研究論文を発表している。また、三木露風の研究史を整理して、研究の現状と課題について論文報告をした。
露風の『山崎新聞』への寄稿は、中学時代の同級山下郁三が編集・発行していたことによる。『山崎新聞』は、大正4 (1915) 年8月31日から昭和14 (1939) 年まで、兵庫県宍粟郡山崎町(現、宍粟市山崎町)で発行された。その一部は町立図書館で閲覧できた時期もあったが、大半が散逸した状態であった。ところが、平成29 (2017) 年に大正4 (1915) 年の創刊号から昭和4 (1929) 年まで、全発行号数の半分近くが製本された形で創刊者の親族の蔵から見つかった。また、他所では昭和5 (1930) 年以降の痛みの激しい未製本の『山崎新聞』が眠ったままになっていることが確認された。これにより、合わせて全発行号数の9割以上を閲覧することが可能となり、本格的な実体の解明に着手する準備を整えている。当時の小地域の新聞が完全に近い形で現存していること自体、専門家によると稀なことだという。
2019年、たつの市三木露風生誕130年記念講演記念事業において、高田智之氏とともに「現代によみがえる三木露風と『山崎新聞』」と題して講演を行い、未公開作品と資料の調査・公開の必要性を説いた。
兵庫県たつの市霞城館、宍粟市教育委員会社会教育文化財課、東京都三鷹市スポーツと文化部芸術文化課の協力をいただき、露風の大正15年以降の未公開作品や関連する資料の蒐集を行っている。また、たつの市の「赤とんぼの母碧川かたを朝ドラの主人公にする会」や宍粟市の方々の協力を得て準備を整えている。
現在、三木露風研究、「三木露風と『山崎新聞』作品・関係資料目録」を作成中である。令和4年には「三木露風と『山崎新聞』」をテーマとしたシンポジウムの開催をたつの市及び宍粟市で予定している。
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